『法を為すの弊、一にここに至るか』

アメリカ人は独立戦争からずっと法律を使って立派な社会を作ってみていた。最近、日常生活は最高裁判所の判断によって変えた。これは、本当に幸せへの道かなと、沢山のアメリカ人が考えている。

「史記」からの話。商鞅(しょうおう)は、秦国の有名な宰相。秦国の政治家に自信が無かったから、新しい法律を作った。厳しい罰のせいで犯罪率が急に下がった。泥棒もスリもいなかった。商宰相は嬉しくて自慢してた。

結局、紀元前338年に敵の公子虔は宰相が売国奴だと讒言して、逮捕を命じた。逃げるしかなかった。次の出来事は「史記國字解」(大正8年)からの引用。

商君は早くも之を悟り、逃走して函谷關の下に至り旅店に宿を取られんとせしに、旅店の主人は此人が商君とは気付かずして言ふやう、『宰相商君の立て給ひたる法律にては、旅行券を所持せざる客人を宿すときは其人と同罪となす規定なればとて断りぬ』、商君は嗚呼と嘆息して自ら啣ちけるは、『さても法律を作りたる弊は吾が身に及び、自縄自縛に苦む迄に至りたるか』と

(現代訳)商氏はこれを知って、函谷關という関所の下に旅館に宿泊しようと思ったが、館長は商鞅だと気づかなくて、「商鞅様の法律によって、旅行券を持ってないお客様は宿泊できないとなっております」と。商君は嘆息して、「ああ、法律を作り徹底させた弊害が、こんな結果をもたらすとは・・・」と。

商氏はすぐ殺された。厳しい法律の影響で、国民も厳しくなった。いや、法律が広かったから、心を広がる大切さが分からなくなった。

全く、国の目的は何でしょう。立派な法律か、立派な人か。現代のアメリカの「同性結婚」等などは一部の意見で「立派な法律」みたいけど、新しい法律で一般人は立派になるか。罰に怖がるだけなのか。

この社会で商鞅のような人はどうなるでしょう。身分証なしで宿泊もらうか。人間の仁が出やすい社会と思わない。遠くの公務員が決めたルールに従ってる刑務所みたい。

大川周明氏は、『有治人無治法』と信じた。『儒教の政治思想』(昭和5年)で、こうおしゃった。

それ一切の制度は、疑ふべくもなき人間精神の所産である。故に制度の真個の意義は、その制度を創設したる人の精神に徹せずしては、つひに把握するよしも無い。従って其の有効なる運用もまた困難である。礼儀三千・威儀三百其人を待つて後に行はるといふのは、礼制の真意義を把握するに非ずば、つひに無用なる器械的形式に堕するが故である。而して礼制の真意義を把握するためには、実に正心、誠意を必要とする。故に陸象山は『曾て私意一関を過ぎ得ずんば、終に徳に入り難し。未だ能く徳に入らずんば、則ち典則法度、何を以て之を知らん』と言つた。

子曰く。導之以政、斉之以刑、民免而無恥、導之以徳、斉之以礼、有恥且格。「人民を導くのに法制をもってし、人民を統治するのに刑罰をもってすれば、人民は法律の網をくぐり抜けて恥じることがない。人民を導くのに道徳をもってし、人民を統治するのに礼節をもってすれば、人民は恥を知りその身を正すようになる。」

Posted: September 13th, 2013 | Kultur